このたび賞をいただきます

私が所属する東洋はり医学会も今年で発足から60年を迎えることとなりました。
この団体はその名の通り、東洋医学の考え方に基づきはり灸を通して病める人々の心とからだを癒していきたいと発足した団体です。
その考えは脈々と後進に伝えられ60年が経過したということになります。

私達が提唱する東洋医学では、気血(今日の血液・体液)が過不足なく全身を巡り、六臓六腑(内臓)がバランスよく働いている状態を健康と考えています。
肩こりや腰痛だけでなく、脳血管障害、心臓病、がん、うつ病などいろいろな病に苦しんでいる方方がたくさんおられます。そして、何より難病に心身を蝕まれ一時も休まることのない日々を送られておられる方には胸の痛みを禁じ得ないところです。
そのような方々の病の原因を私達は、この全身を巡る気血の巡りと臓腑の働きのバランスが長期間崩れたままであるためこのような病が起こると考えているのです。
このような気血の流れの乱れや臓腑の働きをはり灸を通して改善し、個々人が抱えている病苦を救うというのが私たち東洋はり医学会が行っている経絡治療です。
発足から60年。本会ではかつて三千人以上の方が会員として活躍し、その会員が治療家として携わった患者数は延べで億を超える単位となっています。
かつて本会を率いてきた方々は、「はり灸を通して世界70億(当時)の人類を幸せにしたい」といっておられましたが、私もそんな一員に加えていただければと日々努力を積み上げてきたところです。
幸い、そんな会員の一人として30年近く経絡治療を続け、100%とはいきませんが、患者様が幸せな日々を送れることに関与できたことをうれしく思っているところです。

そんな会が、発足60周年を機に私に賞をくださるという連絡が入りました。
その賞の名は「小里賞」。
といっても一般の方にはお判りいただけないのでイメージがしやすいように平たい比喩を使わせてもらうなら、レコード大賞でいうなら歌唱賞、アカデミー賞なら作品賞というような賞。時代や業界を映す賞ではないけれど、皆が納得するその業界の粋を集めた賞ともいえるものであります。
東洋はり医学会でいえば優れた研究業績と指導力、そして何より大事なのは多大な治療実績がある方に与えられる賞です。
ところが私、技術は浅薄、後進を育成するという熱意と分かりやすい指導には心がけているものの、私の治療院、予約がいっぱいで治療が1か月待ちなどという施術所でもありません。
ということで、私などが受賞すれば賞に傷を付けるばかり。そういう事情も考慮し、私はこの賞の受賞、堅く辞退したのでした。
しかし、そんな私にこんなアドバイスをしてくれる方がいました。

「あなたが支部員として函館より30年近く毎月のように東京(本部)へ研修に通っていること、時には月3,4回本部に出向いたり、国内各地、それに海外へも指導講師として出講し、それなりの技術と指導力も身に付けることができたこと。治療実績も上げ地域の人々に喜んでもらっていること。多少なりとも後進への指導や会の運営に寄与したことを評価いただいた。そういうふうに解釈してこの賞をいただいたらどうだろう。」

そこで、「今回ご推挙いただいた私への小里賞。本会技術の継承者としての意味合いでの賞でしたら申し訳ありませんがご辞退させていただきたいと思います。しかし、長年本部へ通い、本会の技術を広く継承しようとした努力と本会への貢献度を評価いただくという意味での賞であれば、喜んでお受けしたいと考えています。」という但し書きを添え伺いを立てたところ、会ではそのような意味合いで賞を授与したいとのこと、
なのでわたくし、これを受けることとしました。
そして、今回の受賞を自分の今後の励みにするとともに、患者様への更なる幸福に貢献できるエネルギーとさせていただこうと思いました。

ちなみに授賞式は令和元年8月25日です。

匙(さじ)を投げる

名人と謡われ、何年経っても何度聞いても、感動と心をくすぐる笑いを私たちに提供してくれる五代目古今亭志ん生は、こんなことを言っていました。

「んーん、毎日のように講座に上がるんだが、本当に満足のいく噺ができたなあって思うのは年2,3度くらいかなあ。」

ピョンチャンオリンピック2018のフィギュアスケートの演技を見ていて、ふと、こんな話を思い出しました。

落語とフィギュアスケート、話芸とスポーツ、一見何の関係もないように見えますが、私にはどちらにも深い共通点があるように思えたからです。

片方は口と上半身の動きによって芸を表現し、片方は全身を使って技を窮めるものですが、どちらも人に感動を与えることで成り立つ芸術に変わりはありません。
そしてその根底には演者の心や思いがあふれています。

日本には「職人芸」という言葉がありますが、まさにこれらの芸術はある意味の職人芸(the spirit of a true workman ‘s art)によって成立するもののように思いました。

上に挙げた志ん生師匠のような芸術を紡ぎだす本人たちのそんな話を聞くと、
私たちは芸術家でも職人でもありませんが、うなずける点がありました。

わたしたちはり灸師が行う治療行為は人の心を揺さぶり感動を与え時には希望と夢を人々に与えるといった仕事ではありません。
あくまでもはり灸治療を通じて患者さんが、来られた時より少しでも具合がよい状態で帰ってもらえればなあということが目的です。

もちろん結果としておいでいただいた患者さんが感動を受け、明日に夢や希望をつなぐこともありますが、それはあくまでも結果論です。

わたしたちが行う脈診流経絡治療で年間1万人前後の患者さんを扱っている先生もおられますが経絡治療家と呼ばれる先生達の思いはいつもひとつです。

わたしたちは常にその患者さんに適合したベストの治療を提供したいと日夜努力を続けているのです。

でも、患者さんにはもちろん、自分たち治療家にも満足のいく治療ができた日がどれくらいあるかというと志ん生師匠の話はうなずけるのです。
なぜなら私たちの治療は、病名とその程度に応じ適切な薬物などを調合する現代医療とは異なり、患者さんが全身で表現する実像を把握し、それに最も適した方法で治療を行うからです。

患者さんは一人一人その体質も異なりますし表す症状も多岐にわたることが多く、なかなか治療も一筋縄ではいきません。
こうした患者さんに私たちは持っているテクニックとスキルのすべてを提供することで治癒に導くのが仕事です。

こんな事情もあって患者さんには100%の満足をいただけるよう最大限の努力はしますが、自分たちの満足度が80%、90%ということはしばしばあるものです。
そういう意味でも私たちの仕事、とてもさじ加減が難しい商売でもあります。
でも、さじは投げないようにしています。

「匙を投げる」
辞書にはこんな記述があります。

「《薬を調合するさじを投げ出す意から》医者が、これ以上治療法がないとして病人を見放す。また、救済や解決の見込みがないとして、手を引くこと。」(国語辞典「大辞泉」小学館)

これを見ると大昔の私にはこんな時があった気がします。
自分の技量が及ばないような患者さんが見えた時、あるいは、考え違いや技術不足で治療の途中から失敗に気づいたとき。
治療を投げ出すことはありませんでしたが力を十分発揮しないまま患者さんをお帰ししたようなこともあったような気がします。
結果、患者さんは思うような治療効果が得られないということも。

幸いそのような自分の弱点に気づいてからは患者さんにご迷惑をかけることは少なくなりました。
仮に治療効果が現れる基準が10点満点の7点ぐらいとすると、8店から9点の技量を以て患者さんをお帰しすることができるようになったのです。

翻ってスポーツ選手のことを考えてみましょう。
私はこう思うんです。
スポーツ選手は若いのに偉いなあと。
今日の自分ははっきりだめだなあという自覚があっても決して今やっていることをあきらめたり途中で投げ出したりしないからです。

例えばフィギュアスケート。
ジャンプが回転不足だった、手をついた、転倒した・・・・。
それでも決して選手は途中で演技を投げ出したりあきらめたりしません。

それは「どんなことがあっても決して途中で投げ出してはいけない」というコーチの強い指導があるからでしょうか。
それとも自分の技術に絶対の自信と信頼を持っているからでしょうか。
あるいはここで投げ出さないことが未来へつながるという信念というか計算があるのか。
「ここで投げ出してはいけない」というアスリートのプライドがあるのか。

いずれにしても大したものだと感心ばかりさせられます。

そして、その強い精神力、その積み重ねがピョンチャンオリンピック2018の羽生君の金メダルにつながっているのかと思うとただただ胸がいっぱいになります。

再び三度私は思うのです。
日々の治療だけではなく生き方そのものでも決して現状を投げ出さないような強い精神力を持たねば、と。
仮に自分に負けそうになっても途中で投げ出したりすることなく、あるところ以下には落ちないように最大限の努力をすべきだと。

そんな折、ふと身近な若者を見ていると「リセットすればまたやり直せる」と思い込んでいる青少年が多いのはとても残念なことだと思います。
そんなに簡単に「匙を投げ」手はいけないのですよ、皆さん。

CNNで私たちの治療の様子が放送かも?

CNNから取材依頼がありました。
CNNといえばだれもが知っている世界最大のニュース専門チャンネル。
最近ではトランプ大統領にまず最初に敵視されたマスメディアとしても御なじみな放送局でもあります。
そのCNNが日本のはり灸について番組の中で取り上げたいので是非取材をということでした。
もちろん私の治療室を取材したいということではありません。
私が所属する東洋はり医学会に対しての依頼です。

発端は海外にも40近い支部を持つ本会北米支部へのこんな依頼から始まりました。

「今朝、北米支部にCNNのあるプロデユーサーから連絡が入りました。
内容は、日本の鍼灸、特に全盲の鍼灸師、東洋はりの取材を日本で希望。、
そして東洋はりの治療を日本で受けたいとの希望で、日本の連絡場所を教えていただきたい、というものでした。」

東洋はり医学会はもともと視覚障害を持つ鍼灸師が集まって発足した団体。
世界の先端医療をリードする国の一つであるアメリカにとっては、視覚障害のある鍼灸師がその一翼を担っているということは神秘以外の何物でもなかったのかもしれません。

レポーターはドクターサンジェイ・グブタ。
アメリカでは知る人ぞ知るお医者さんだそうで、アメリカ国内でもあらゆる医療関係の課題をレポートしているとのことです。

ドキュメンタリー撮影スタッフが日本に滞在したのは十日ほど。
そのうちの7月31日、谷内本会副会長の治療室で撮影が行われました。

取材に協力したのは副会長ご自身と3,4名の全盲会員。
撮影は朝の10時ごろから午後の4時ごろまでとかなりの時間を要したようです。
「世界に私たちの治療の素晴らしさを伝えるため」と、この日を休業にしたり緊急性のない患者さんをお断りして協力を惜しまなかった会員たち。
さて、本当に私たちの意は伝わったのかどうか・・・・。

参加者に話を聞くとーー
やはり視聴者を意識したテレビ向けの顔と、何でも自分の国に会うような味付けをしてしまうアメリカ的体質がよく出た取材になったようです。

わたしたちが行うはり灸は患者のからだを巡る気を伺いその気を調整するという微妙な操作を行うため、その手さばきも極めて細かなものです。
それはテレビ移りも悪くなかなか視覚に訴えるものにはなりません。
そのことが十分伝わっていなかったとみえ、撮影においてはやはり大きなパフォーマンスが要求され、患者にもこちらが意図しない驚くような変化を期待していたようです。
例えば今まで立つこともできないような患者が突然スタスタと歩き出すといった映像を期待していたようでした。

映画などによくみられるのですが、その国の持っている文化的思想的背景があって作品が出来上がっているものも多いのに、自国の価値観でストーリーを勝手に作り替える。
アメリカでしばしばみられるこんな現象が今回も優位に働いたようです。

科学万能の社会、薬とサプリメントが当たり前の社会。
こんな状態が蔓延する中ではり灸で人を癒すなどと言うことはまさに神秘。
視覚障害者が医療に携わるなどということは考えも及ばないこの国ではその視覚障害者がはり灸で人を癒しているなどということは文字通りアンビリーバブルなのかもしれません。

東洋医学の「和」の思想とか「中」の思想、それに「気」の考え方なども充分反映された番組になればよいのですが・・・・。

放送は来年春ごろとか。
日本でもよくあるニュース番組の「特集」のコーナーで10分程度取り上げられるとか。
ひょっとしたらネットで見られるかもしれないと期待しています。
そして視覚障害者がはり灸で人を癒している現実がミステリアスでもアンビリーバブルでもない、3千年の伝統に裏打ちされた思想と技術であることをしっかり伝えられることも。