やり直し

今年も昨日、6月30日でおおむね半年が過ぎました。
「早いものだ。」
歳を取るといつもながらそう思いつつこの日を迎えます。
しかし、ただ「今年も早いものだ」と呆然とこの日を見送るだけが7月1日ではありません。
なぜならこの日が年の半分だとしたら、まだ半分やり直すことができるからです。
このコーナーの私のお話、ゆえあってしばらくお休みをいただいていましたが、今日からまた再会してみようと思います。

思えば人生には「やり直す」という機会がたくさん用意されています。
1日という時間、1週間という期間、1年という単位。

昨日うまくいかなかったことも一晩寝たら新たな発想で取り組むことができるかもしれません。

何かはっきりしないうちに無為に過ごした1週間。
月曜日にはリフレッシュされて新たな仕事に取り組めるかもしれません。

「1年の計は元旦にあり」などといいますが、お役所や会社、学校の年度初めは4月。
私なども飲んだくれてる1月よりも4月にやる気を出したものでした。

東洋医学を支える考え方のひとつに「夏至」や「冬至」があります。

現代科学では太陽が北半球に最も近づいた時が「夏至」であり、最も遠ざかった時が「冬至」ということになります。
が、東洋医学では夏を陽の代表、冬を陰の代表とし、夏が最高潮に達した時期が夏至、冬が最高潮に達した時期が冬至としたわけです。
今年でいえば夏至の6月21日は理論的には陽のエネルギーが180、陰のエネルギーは0という日になります。
そして翌22日は陽のエネルギーが179、陰のエネルギーが1導入されたということになります。
東洋医学の古典には大気の陰陽のバランスに応じてわれわれの暮らしも設計していくとよいと書かれているのですが、その話はまたいずれ・・・・・・。

今日はやり直しの話。

この冬至や夏至をやり直しのきっかけにするのも方法ですし、季節を正しく示すために用いた二十四節季などもそのきっかけにするのもよいでしょう。

いずれにしてもちょっと人生の道に迷ったとき、あるいは自分が少しいやになったときなど、何かのきっかけを見つけてやり直してみる。
こんなのはどうでしょう。
特に「うつ」気味のあなた、あなたには「やり直し」はお勧めのアイディアなのですが・・・・・。

「ちょっとうつかなあ」と思い始めているあなた。
私と私の鍼灸治療を通じて一緒に幸せな明日を考えてみませんか。

はり灸治療って個人競技、それとも・・・・。

3月を迎えいち早くJリーグが開幕。
あちこちからは球音も聞こえるようになり、近くの咬交からはそれらを応援する吹奏楽の高らかな響きも聞こえてきます。
いよいよスポーツの春、本番といったところでしょうか。

ところでこのスポーツ、大きく分けると個人競技と団体競技に別れるようです。

皆様もご存知のように、個人競技にはスキーやスケート、陸上や水泳など、その速さや美しさを競うものや、柔道、剣道、相撲、レスリング、ボクシングなど、いわゆる格闘技と呼ばれる協議、ゴルフやテニスのように相手はあるのですが、戦う相手が実は自分であるといった協議もあります。
一方団体競技としては、サッカー、バレーボール、バスケットボールなどの球技を挙げることができます。
もちろん、団体競技でありながらアメリカンフットボールや、アイスホッケーのように氷上の格闘技などと呼ばれるものもあります。
個人競技でありながら体操や卓球のように国の威信を掛けて争うスポーツもあります。
が、ここではその話はちょっとおいておくことにしましょう。

ところでこの中にかつては国民的スポーツであった野球の話が出てきません。
最近私が読んだ本には、野球は個人競技であると同時に団体競技だと書かれていました。
それによるとピッチャーとバッターとの駆け引きを見ると野球は個人競技のように見えますが、試合そのものの流れや勝負を決めるポイントなどを考察すると団体競技であるというのです。

さて、突然ですがーー。
医療行為というものは個人競技なのでしょうか、それとも団体競技なのでしょうか。
ちょっと変な比喩ですが、春なので考えてみることにしました。

その医療。
現代医療をスポーツにたとえるなら、病気を相手に医師が患者の病苦除去のために戦っている真剣勝負の個人競技といっても良いかもしれません。
現代医療は関係者のたゆまぬ努力により、ここ200年近くの間にその診断と治療技術において格段の進化を遂げてきました。
とはいえ、未だその根絶はおろか、原因すらつかめない病気も存在します。
また、地球上にはその医療が十分いきわたらない地域も数多くあります。
そういう意味で、現代医療における病気という修羅との戦いはまだまだ終わっていないといえるのかもしれません。

また、こんな例もしばしば見受けられます。
「勝負に勝って試合に負けた。」
平たく言うとこんな例です。
手術は成功したが患者は死んでしまった。

これに類することとして最近こんなことがありました。
叔父は80を過ぎても元気で、身の回りのことはもとより買い物も一人。
奥さんをなくして寂しさはあるものの、それなりに生活をエンジョイしていました。
加えて豊かな知識と人当たりのよさで多くの人から愛されてもいました。
その叔父、最近歩くと息切れが強くなったとのことで内科を受信したところ、血液の逆流を防ぐ役割を果たす心臓の弁がしっかり閉まらないことがわかりました。
医師からは年齢に比し、体力もあることから弁形成術、つまり、人工弁だけでなく自分の弁を張り替えたり縫ったりする方法を勧められました。
本人もまだまだ元気に過ごしたいという気持ちが強くこの勧めに応ずることとしました。
そして、手術は成功しました。
本人も徐々にではありますが元気を回復してきました。
が、およそ半年後ーー。
全身のむくみがひどくなり入院。
投薬の効果もあり、むくみは2,3日ですっかりなくなったのですが・・・・・。
それから2週間後、叔父は急逝しました。
この事例が「勝負に勝って試合に負けた」というものではないかもしれません。
叔父の手術は成功しましたし半年以上生きていました。
医療ミスと思われるものもありません。
強いてあげるなら、1日や2日で周りの者があっと驚くほど消失したむくみ。高齢者にそんな強い効果の薬を与えてよかったのかどうかは疑問です。
叔父の死を寿命だという人もいます。
寿命だとすればどんな最善の方法をとっても生命を引き伸ばすことはできません。
でも、家族にとっては「たられば」*を思うと一つの死を受け入れるのに時間がかかるのも確かです。

ところで私たちが行っているはり灸治療、これは個人競技なのでしょうか、それとも団体競技なのでしょうか。
そのお話は、また、次回にしましょう。

*たられば
「もしそうだったら」、「もしああであれば」と一見願望を表す用語のように見えるが、むしろ過去を振り返って悔やむときなどに多く用いられる。
競馬を楽しむ人たちが外れ馬券を握り締め、「もし、ゴールがあと100メートル短かったら」とゴール板の位置にクレームをつけたり、「もし、馬の鼻がもう5センチ長ければ」とクレオパトラみたいなことを言ったりしてレースを悔やみつつ回顧したりするときなどに用いる。

戦う相手が病気ーー厳密にいえば症状ーーという点では現代医療のような個人競技のように見えます。
しかし、五感を駆使しての診断と、手の技術を頼りにするはり灸は、最先端科学に裏打ちされて行われる現代医療の診断と治療には及ぶべくもありません。
したがって、私たちが行う医療は患者と手を携えつつ病気と立ち向かう団体競技ということになります。

はり灸は「偽」の治療でしょうか

昨年の1年を表す漢字は「税」でした。
今更ながら何ですが、私はこの文字の選考に疑問を持っている一人です。
といっても、別に「税」という漢字が昨年1年を表す漢字ではないというのではありません。
もっと象徴的な文字があるのではと思うのです。
その文字こそが「偽」です。
辞書的にいえば「欺」、あるいは、「疑」でもよいかもしれません。

人類を永遠の幸福の国へでも連れて行ってくれるかのような幻影を一時味わわせてくれたスタップ細胞の発見。
昨年末の衆院選で52,66%の投票率しかなかったにもかかわらず、改憲までも支持されたかのような発言を行う安倍首相。
世界の国のほとんどが国華として認めていないにもかかわらず、国華だと主張し、その主張を正当化するためにテロを繰り返すIS。
これらの出来事や主張にどの文字を当ててよいかはわかりませんが、いずれにしてもここ数年を表す漢字としては「偽」、「欺」、「疑」のどれかが良いのではと思っています。

私は過去のその年を表す漢字にどんな文字が選ばれたかについて詳細な記憶はありません。
だから、上に挙げた漢字たちが一度選ばれたことがあるという方が、
「それらを除いたら、この漢字になった」
と言われるのももっともだと思います。
でも、私はこう思っています。
「また同じ漢字が選ばれてもよいのでは。
それぐらいわが国は、いや、世界は腐敗しているのだから・・・・。」と。

ところで私たちが手がけているはり灸。
その作用や治療効果について「偽」や「欺」、あるいは、「疑」はないのでしょうか。

はり灸は長年その作用や効果に科学的根拠がないという理由で、現代医学からは無視に近い状態で扱われてきました。
たしかにそのとおりで、はり灸の効果を裏付ける科学的データもきわめて少なく、また、本場中国のように治療効果のあった症例を何千何万と挙げ、これによりはり灸の効果を証明しようという事実主義がまかり通っているのも現実です。
しかし、現代科学がすべての事柄を解き明かしているかというと、必ずしもそうとはいえません。
もし、現代科学がすべてを解き明かしているとすれば、宇宙誕生や生命誕生の謎に疑問は残らないはずです。
別の言い方をすれば、まだ未知の科学が存在するということになるでしょうか。

はり灸に関して用いられている科学を別の観点から見ると、次のような特徴があることがわかります。

私たちが行う治療の根源には、「内傷なければ外邪入らず」という概念があります。
どういうことか。
心の傷、すなわち、感情の極端なアンバランスが病を引き起こすといっているのです。
つまり、多少の起伏はあってもその人の許容範囲の中で喜怒哀楽が働いている限りは健康であるといっているのです。
また、全身のバランスの重要性も説いています。
すなわち五臓六腑がバランス良く働いていれば健康であるという概念を持っているのです。
このことから東洋医学では「局所を診ずして全身を診る」という考えが導き出されてくるのです。

皆さん、ちょっとがんの手術療法について思い描いてみてください。
皆さんの仲には、このがんなるもの、聞く話から、あるいは、体験から、局所に増殖しているがん細胞の塊を取り除けば、治癒すると考える方も多いことでしょう。
そして、すべてのがん細胞を取り除くことができないとき、転移、再発すると。
これはそのとおりだと思いますし私もそういう考えを全否定するものではありません。
しかし、忘れてはならないのは、局所の問題を解決すればそれですべてが良い方向に向かうという考えの間違いです。
人間は全身のバランスが取れてこそはじめて局所の状態も改善されるのだということです。
私たちが行うはり灸は、この全身のバランスを取るという働きに大きな役割を果たします。
皮膚に張りと潤いが出てくる、からだがぽかぽかと暖かくなるなどはその現れでしょうか。

さて、私のはり灸に関するここまでの話。
私の「欺」瞞に満ちた考えから生まれたものだと思いますか。
それともこんな話は「偽」りだとお思いでしょうか。
そして皆様のはり灸に対する疑問は払拭されないままなのでしょうか。